俺にとって大切な存在が、二つある。 「長太郎!おはよ!」 その声を聴くだけで、俺の顔は自然と綻ぶ。 「おはよう、」 「ねえねえ、数学の宿題やって来た?」 「もちろん」 「やっぱり!あのね、一問だけ解らない問題があって……お願い!写させて!私今日当たる日なの〜」 「しょうがないなぁ」 「やった!長太郎、大好き!」 物心ついた時から、の隣は俺の特等席。 そこには激しい感情や熱い想いなんてないけれど。 俺の横で無邪気に笑うを見ているだけで、俺の心は満たされるんだ。 「宍戸さん!おはようございます!」 その姿を認めるだけで、俺は自然と駆け出してしまう。 「おす。長太郎」 「昨日は遅くまで付き合ってくださって、ありがとうございました」 「お互い様だろ。今日は俺の練習に付き合えよ。ちょっと確認したいことがあってよ」 「もちろんです!じゃあ今日の帰りは宍戸さんのおごりですね」 「は!?なんでそうなんだよ!?」 テニス部の先輩のことは勿論みんな尊敬しているけれど。 この人は特別だ。 一度地に落ちても、そこからまた這い上がって、もといた場所よりも更に高みを目指す。 そんなこの人の姿を、俺はいつも追い駆けている。 宍戸さんの背中を追い続けることが、俺の悦びで目標なんだ。 いつも俺の横にいると、いつも俺の前を歩く宍戸さん。 二人は最初は面識がなかったけれど、気づけば自然と三人で過ごすことが多くなっていった。 昼休みに、の作ってきたクッキーを宍戸さんと二人で頬張ったり。 部の練習を見に来たとフェンス越しに三人で雑談していて、跡部部長に怒鳴られたり。 放課後の音楽室で、俺のバイオリンの練習をニコニコと眺めるの横で、 宍戸さんは眠り込んでしまっていたり。 それは、俺にとってかけがえのない、ゆったりと流れる穏やかで幸せな時間。 こんな日々が、ずっと続くと思っていたんだ。 「え?」 「だからね。えっと……私、宍戸さんと付き合うことになったの。 3日前にね、宍戸さんが言ってくれて……。私も、宍戸さんのことずっと好きだったから……。 凄く、嬉しかったんだ」 「そうだったんだ。全然知らなかったよ……」 「うん……。なんかさ、長太郎と宍戸さんって凄く信頼しあってるじゃない。 私なんかが入り込んでいいのかなって、なんとなく相談し難くて……ごめんね?」 「なに謝ってるんだよ。宍戸さんが、のことを好きだって言ったんだろ。 俺が文句言う筈ないじゃないか。おめでとう」 は、ありがとうって、頬を染めながら静かに笑った。 いつも無邪気に笑うが、こんな風に恥ずかしそうに、嬉しそうに笑うのを俺は始めて見た。 ずっと、いつも、隣で見てきた筈なのに。 「長太郎……俺さ、と付き合うことになったんだ」 「はい。から聞きましたよ。おめでとうございます」 「そ、そうか」 「それにしても、いつからのこと好きだったんですか?俺に相談もしてくれないなんて。 ちょっと寂しいですよ」 「いや、あいつはお前の大事な幼馴染だろ……だからよ、なんか悪いな、なんて考えちまってよ……」 「嫌だなあ。は大事な幼馴染だけれど、宍戸さんだって俺にとって大事な先輩です。 宍戸さんになら安心して任せられますよ」 宍戸さんは、照れくさそうに微笑んだ。 恥ずかしがりな宍戸さんはこういうとき、いつもだったら怒ったような膨れっ面で照れ隠しをするのに。 こんな風に、素直に笑える人だったんだ。 俺は、他人を見抜くことに掛けては結構鋭い方だと自分で思っている。 けれど、まさかが宍戸さんを好きで、宍戸さんがを好きだったなんて、全然気づかなかったんだ。 いや、気づこうとしなかっただけなのかもしれない。 二人とも、俺にとって大切な存在過ぎて。 俺は一人舞い上がって、その空間に酔って、感覚が麻痺していたのかもしれない。 大切な人が、二人一緒に幸せになるんだ。 これ以上喜ばしいことはないじゃないか。 俺が二人に言った、「おめでとう」の言葉に、偽りはない。 俺はあの時、心の底から祝福して、心の底から笑っていた。 だったら、この胸に広がる黒い想いは、一体何なのだろう。 061012 |