a tale of the Prince Masaharu















昔むかし、あるお城にとても美しいけれど、とてもわがままなお姫様がいました。
お姫様のもとには多くの国から王子様が結婚の申し込みに来ましたが、どんなに素敵な王子様の求婚にも、お姫様が首を縦に振ることはありませんでした。
それどころか、お姫様はどの王子様にもひどい蔑みの言葉を吐き、城を追い出してしまうのでした。


今日も、西の国から王子様がお姫様に結婚の申し出にやって来ました。


「俺はこの国より遥か西にある国の王子、雅治じゃ。美しい姫、どうか俺と結婚してくれんかのう」


さらさらと靡く銀色の髪に、その隙間から覗く鋭く聡明そうな瞳。
薄い唇と、ほくろのあるほっそりとした顎が、艶やかな印象を与えます。
今まで訪れてきたどの国の王子様よりも美しい西の国の王子様に、お姫様は思わず息を呑み、心臓が高鳴るのを感じていました。
けれどすぐに眼をきつく吊り上げると、西の国の王子様を睨みつけ、意地悪く口をの端を歪めました。


「雅治王子、その若さでそんなに白い髪をなさって、西の国ではよほど苦労されているのですか。それに、その品性の感じられない言葉遣い。ああおぞましい。私はあなたのような方と結婚する気はございませんわ」


お姫様は王子様に辛辣な言葉を浴びせると、自分の部屋に戻ってしまいました。


「ああ、誰もが私の王女という地位や外見という、表面的なものでしか私を見てはくれない。誰も、私と言うひとりの存在を愛してはくれないのね」


お姫様はベッドに顔を伏せ、一晩中泣き腫らしました。


怒ったのはお姫様のお父上である王様です。
どの国の王子様もこっぴどく追い返してしまうお姫様に憤慨し呆れた王様は、お姫様にある言いつけを告げました。
それは、翌日の朝一番にお姫様を訪れた者をお姫様と結婚させるというものでした。


そして、次の日の朝。
一番にお姫様と顔を合わせたのは、政治の提言で偶然お城に来ていた学者でした。
神経質そうに撫で付けられた髪に、光の見えない厚い眼鏡。
清潔だけれど質素な身なり。


こんな学者と結婚するくらいならば、どこの国とも知れない王子と結婚するほうがましだとお姫様は拒絶しましたが、王様は許しませんでした。
お姫様は学者の家へと連れて行かれ、ふたりの生活が始まったのです。


学者の住む小さな家には煌びやかなシャンデリアも、豪華な暖炉もなく、もちろん召使だっていません。
あるのは天井まで届くような壁一面の本棚と、細い蝋燭の灯った小さなテーブルひとつだけ。


「それでは先ず、そのドレスを脱いでこの服に着替えてください。この家の中でそんなドレスを着られていては、裾が広がって邪魔になってしまいますからね」


差し出されたのは継ぎ接ぎだらけの汚れたワンピース。
お姫様は嫌々その服に着替えました。


「ねえあなた。私お腹が空いたわ」
「それでは水を汲み、薪を集めて火を熾さなければなりませんね」
「まさかあなた、それを私にやれとおっしゃるの?」
「当然ですよ。働かざるもの食うべからずと言うでしょう。ここには貴方のいたお城のように召使の方などいません。仕事は全てさん、貴方が自分でこなさなければなりません」


厳しく言い放つ学者の言葉に、お姫様は顔を青ざめました。


「そんなこと出来るはずがないじゃない!私は一国の姫ですのよ」
「それでは仕方ありませんね」


学者はため息をつくと一人分の食事だけを作り、自分だけ食事を始めてしまいました。
お姫様は部屋の隅っこで、惨めな思いでその様子を眺めていました。


次の日も、学者はお姫様に食事を与えてはくれませんでした。
お姫様はただ黙って空腹に耐えていましたが、やがて耐え切れずに学者へと声を掛けました。


「あなた」
「なんですか。食事なら差し上げることは出来ませんよ」
「いいえ、違うわ……。私、どうやったらいいか分からないの。今まで食事の支度なんて、したことがなかったから……」


お姫様が恐る恐る声を出すと、学者はお姫様のほうを見てにっこりと笑いました。


「そういうことでしたら、私が教えて差し上げます。一緒に支度をしましょう」


学者の優しい言葉に、お姫様は心の底から安心しました。
そうしてやっとお姫様が口にすることが出来た食事は、今までお城で食べてきた豪華な食事とは比べ物にならないほどに質素で慎ましいものでした。
けれどお姫様は生まれて初めて自分で準備をした食事を口にしながら、こんなにおいしい食べ物を口にしたことはないと感じていました。


それからもお姫様はなれない貧しい暮らしに戸惑いを覚えましたが、学者はなにひとつ与えようとはしてくれませんでした。
けれどお姫様が自ら働こうとしたときには、学者は優しくその手助けをしてくれたのです。


そんな暮らしが続くうちに、お姫様は初めは辛く苦しく、嫌で仕方のなかったこの生活を楽しいと感じるようになって来ました。
お姫様はずっと城の中で裕福に暮らしていた自分には知らないことが多々あることを学びました。
そして自分が何も知らないということを恥じ、新しく何かを知っていくことに喜びを感じるようになりました。


学者はお姫様の知らない世界の本を読んで聞かせてくれ、お姫様が自分の力で生活していくための術を教えてくれました。
時に厳しく、時に優しく、自分を「姫」としてではなくたったひとりの人間と認めて接してくれる学者。
そんな学者のことを、いつしかお姫様は愛するようになっていたのです。


そんなある日、お姫様を城から追い出したはずの王様の下から使いの者がやって来ました。
それは、やはり一国の王女を貧しい学者の妻にするわけにはいかない。
お姫様を城に戻して、他国の王子と結婚させると言う報せでした。
お姫様は泣いて嫌がりましたが、王様の命令に背くことは出来ません。
お姫様は無理矢理学者と引き離されてしまったのでした。


城に連れ戻されたお姫様は、結婚相手の王子様が待っていると言う部屋の前まで通されました。
そして沈んだ気持ちのままその部屋に入り、とても驚きました。


そこで待っていたのは、お姫様が一緒に暮らし、そして心から愛した学者でした。
けれどお姫様がもっと驚いたのは、姿かたちが全く同じ学者が、ふたり並んでいたということです。


お姫様は混乱して呆然とふたりの学者を見比べていましたが、しばらくするとふたりいる学者のうち、
一方の目の前へと歩み寄りました。


「私の愛する夫は、あなたですね」


お姫様が片方の学者の眼を真っ直ぐ見つめて言うと、学者はにやりと口の端を上げて笑いました。


「正解じゃ、姫」


そう言うと学者は眼鏡を外し、整えられていた髪の毛をぐしゃっと解しました。
そうして現れたのは鋭い眼と、銀色に輝く髪。
今、お姫様の目の前に立っているのは、いつかの西の国の王子様でした。


さきほどよりもさらに驚いて眼を見開くお姫様の顔を見て、王子様はふっと目を細めて笑いました。


「驚いたかのう。今までお前さんが一緒に暮らしていたのは、この俺じゃ。隣にいる……・・俺の側近の
柳生っつうんじゃが。こいつに成りすましていたんじゃ」


王子様の隣に立つ、学者の姿をした男のほうへと目を向けると、男は「騙すようなことをして大変申し訳ありません」と申し訳なさそうに、深々と頭を下げました。


「どの国の王子の求婚も受け入れない、わがままなお姫様ってのが、どんな女なのか気になってのう。最初はただの興味本位だったんじゃが。日に日に顔を輝かせて、俺に新しいことを教えてくれとせがむお前さんに、どうやら本気で惚れてしまったようなんじゃ」


王子様は照れ臭そうに頭を掻きながら言葉を繋げていきます。
そんな王子様を、側近の男は可笑しそうに笑いながら眺めています。


「こんなペテンにかけてしもうて、お前さんは怒っているかもしれんが。ちゃんと本当のことを話して、
お前さんに謝りたかった。そうして、本当の俺を見て欲しかったんじゃ。すまんかった」


そう言うと、王子様は勢いよく頭を下げました。
そうして恐々と顔を上げて、目の前で立ちすくむお姫様の顔を覗き込みました。
お姫様は、優しく綺麗に顔を綻ばせ、微笑みながら王子様を見つめていました。


「私はこれまで、誰もが自分を外見や地位などの、表面上でしか認めてはくれないと嘆いていました。けれど、私自身同じように、表面上でしか他人を見ていなかったのです。それを気づかせてくださったのは雅治王子、あなたです。あなたは私に大切なことをたくさん教えてくださいました。働くことの意義、知ることの喜び、そして、人を愛する気持ちです。あなたが学者であろうと、王子であろうと。どんな姿をしていようと、関係ありません。私が愛したのは、あなたと言うたったひとりの人なんですから」


お姫様が凛と背筋を伸ばして王子様に告げると、王子様は「先に言われてしもうたなあ……」と苦笑いを浮かべました。
そうして、ふっと真剣な眼でお姫様の目を真っ直ぐと見つめ返しました。


、愛しとうよ。何よりも」


王子様はお姫様の前に跪くと、恭しくその手を取ってそっと口付けました。
お姫様の手はゴツゴツとして、ささくれや切り傷だらけでしたが、王子様はその手を何よりも美しいと、
愛おしく感じていました。










2007.02.11.