a tale of the Prince Keigo 昔むかし、あるお城に王子様と召使の娘がいました。 「景吾様!見てください」 お城の庭でひとり剣の稽古をしていた王子様の元に、娘が目を輝かせながら走ってきました。 「おい、ちゃんと足元を見て走れっ……」 「きゃあっ」 娘の声に振り向いた王子様が言うや否や、娘は柔らかい芝生の窪みに足を取られ、前のめりになって転げそうになってしまいました。 そんな娘を見て王子様は慌てて手にしていた剣を地面に突き刺し、今にも地面にキスをしてしまいそうな娘へと駆け寄りました。 娘があまりにも勢いよく走ってきたために、王子様は尻餅をつきながら倒れこんできた娘を抱きとめました。 「はあ……お前は只でさえとろいんだから、あまり城の中を走り回るなと行っているだろうが」 「えへへ、景吾様ごめんなさい」 「ったく……」 そう言って王子様は娘の背に回した腕の力を強めようとしましたが、それよりも早く娘は素早く立ち上がって大きな声を上げました。 「そんなことよりも景吾様!こっちに来てくださいっ」 「お、おい」 娘はまだ地面に座り込んだままの王子様の腕を引っ張って無理矢理立たせると、その手を引いて走り出しました。 「ほらっあそこです」 やって来たのは湖に面したお城の裏庭。 娘はそこの城壁の一点を見上げながら指を指しました。 「あそこの隙間、鳥の巣があるんです」 「あれは……セキレイじゃねえの」 「あっ見てください!雛がいますよ」 規則正しく並べられた石垣のわずかな隙間にある、小枝や枯葉で出来た野鳥の棲家。 そこから、雛が2羽小さな頭をちょこんと出しています。 「お母さんの帰りを待っているのでしょうか。かわいい」 娘は優しく微笑みながら雛鳥の様子をじっと見つめ、その隣で王子様は同じように優しく目を細めながら、娘の姿を愛しそうに見つめていました。 王子様と、召使の娘。 身分は違いますが、同じ年に生まれ、同じ場所で同じ時間を過ごしてきたふたりは主従の関係であるというよりも、幼馴染で兄妹であるといった方がふさわしくありました。 無邪気でおてんばな娘を、いつも呆れながらも優しく見守ってくれる王子様。 娘はそんな王子様のことが大好きで、幸せな日々がずっと続くと信じていました。 そんなある日、王子様と隣の国の王女様との結婚の話が持ち上がりました。 白い肌に薔薇色の頬。 長い髪の毛を綺麗に結い上げ、煌びやかなドレスを着た美しい王女様。 娘はそのとき初めて、自分と王子様との身分の差を実感したのでした。 卑しい身分の自分が王子様の隣にいることは許されない。 こんなみすぼらしい自分が王子様に釣り合うはずがない。 娘はすっかり塞ぎこんで、部屋に閉じこもってしまいました。 「おい。入るぞ」 「あ、景吾様……」 王子様は娘の部屋に入ると、ベッドの上で膝を抱えていた娘に寄り添うようにしてベッドの端に腰掛けました。 窓ひとつない殺風景で小さな部屋に、硬い木のベッド。 そして化粧などしたこともなく、無造作に髪の毛をお下げにしただけの自分。 娘はこんな自分が今まで王子様の隣で笑っていたのかと急に恥ずかしくなり、泣きそうになってしまいました。 顔を膝の上に埋めてしまった娘の頭を、王子様は優しくそっと撫でました。 「どうした。どこか具合が悪いのか」 王子様の言葉に、娘は顔を伏せたまま黙って頭を横に振りました。 「じゃあどうしたんだ。いつもは騒がしくてうるさいくらいなのに。お前がいないと退屈で、城が静かで広く感じちまう」 なおも頭を撫でながら優しく静かな声を掛ける王子様に、娘はそっと顔を上げました。 そうして体を起こすと、ピンと背筋を伸ばしてベッドの脇に立ちました。 「景吾様。ここは景吾様のような高貴なお方が来る場所ではありません。どうぞお戻りください」 毅然として言った娘の言葉に、王子様の顔から笑みがすっと消えました。 「……何を言っている」 「これまで数々のご無礼、失礼致しました。私のような卑しいものが景吾様には本当に良くして頂いて、身に余る光栄でございます。これからは身分を弁えて行動を慎みますので、どうぞ私のことなどはお気になさらないでください」 掠れたような声を出す王子様に対して、娘は力強い声で早口で一気に言葉を繋げると、深くお辞儀をしました。 そうして顔を上げたとき、目の前にある王子様の美しいお顔に娘は驚きました。 その顔は娘が今まで見たこともないような険しい顔をしていました。 「。それは何の冗談だ」 「……冗談ではありません。今まで私は自分の身分を弁えていませんでした。私はこのお城のいち召使……そんな私が景吾様のお隣にいるなんて、許されないことです。景吾様には……景吾様の隣には、もっと相応しい方がいらっしゃいます」 王子様の怒気を含んだ問いかけに、娘は小さく震えながら消え入りそうな声で答えました。 そんな娘の腕を、王子様はぎゅっと強く掴み上げました。 「俺は、お前のことを召使だなんて思ったことはない」 「景吾様……」 「お前は、今まで俺のことを王子だとか、そんな肩書きでしか見ていなかったのか?」 「そんな!それは違います!」 さらに続けられた王子様の質問に、娘は今度は強く大きな声で否定しました。 「景吾様はちょっと意地悪だけれど、でもいつも優しくて、ちゃんと私のことをいつも見ていてくれて……・そんな王子様の隣にいるのが、私は……私は大好きでした」 「だったら、俺も同じだな」 「え?」 「俺はすぐ笑ったり、泣いたりして、いつも危なっかしくて何をしでかすか分からないお前だから、隣にいたんだ」 王子様の顔からはさっきまでの怒りは消えていて、いつも娘を見るときのような、優しい目つきに戻っていました。 「結婚の話なら、丁重に断った」 「えっ」 「俺にはずっと前から、心に決めたたったひとりのやつがいるからな」 娘は黙って、王子様の言葉を待ちました。 痛いほどに強く掴まれていた腕も、王子様はそっと大切なものを包み込むようにして触れてくれています。 「身分なんてただの枠組み。ひとりの人間の存在の前では形もなく、ちっぽけで何の意味も持たないものだ。王子だとか、召使だとか。そんなものは関係ない。俺は、お前というひとりの人間を愛しているんだ」 「……!」 驚きとうれしさのあまり声を失い、目に雫をいっぱい溜めて顔を上げている娘を王子様は掴んだままのその腕を引き寄せて、いつだったか掴みそびれたものを確かめるようにして、優しく強く抱きしめました。 「、愛している。俺と結婚してくれ」 王子様は娘の耳元で囁くように、それでいてはっきりとその言葉を紡ぎました。 「景吾様……本当に私でいいのですか?」 すっかり目から零れてしまった涙を拭うことも忘れて、娘は王子様に問いました。 王子様は娘の肩口にあった顔をそっと離すと、娘の顔を正面から見つめました。 「お前でなければ意味がない。これは王子の命令だ」 その言葉を聞いた娘は涙を流したまま、綺麗に微笑みました。 王子様はその透明な涙を親指で拭うと、そっと娘の唇に自分の唇を重ねました。 070227 |