「ああ、すまん」
「ううん」



これで今日は4度目だ。


彼の言葉に平然を装って小さな声で答えるけれど。
私の心臓はドキドキと脈打って、顔の熱が上昇するのを止めるのに必死だ。








distance








私の右隣の席に座ってるのは仁王雅治くん。
今年初めて同じクラスになってから、私は彼に密かな思いを抱いている。


近寄りがたいんだけれど、とっつき難い訳ではない。
惹きつけられるのだけれど、立ち入ってしまうのは憚られてしまう。


そんな矛盾した、不思議な雰囲気を醸し出している仁王くんと直接関わり合ったことなんて、
同じ教室にいたって本当に数えるほどしかなくて。


そんな私が、毎月行われる席替えで仁王くんの隣の席をくじで引き当ててしまったのは、
ほんの1週間前。


荷物を抱えて新しい自分の居場所に着いたとき
先に席に着いていた仁王くん に「1ヶ月よろしくな」と低い声で言われた時は
本当に心臓が止まるかと思った。


けど、仁王くんは偶然席が隣り合っただけの女の子とわざわざ仲良くしようなんて思う人でもないし。
私だってこれに乗じて彼に取り入ろうなんて気は毛頭ないし、出来るはずもない。


相変わらず会話をしたことなんてほとんどないし、
休み時間になるといつもテニス部の誰かが彼のところに来て、仁王くんを取り囲んでいる。


そうでなければ一人でふらりとどこかに消えてしまうのだ。


そんな掴み所のない仁王くんだけれど。
授業中だけは。


左利きの彼の腕が動いて私の肘にぶつかる度。
彼が私の方を見て小さな声で「すまん」と声を掛けてくれる度。


今、彼の一番近くにいるのは私なんだ。
そんな小さな優越感を抱いて、どうしようもない悦びを感じてしまっているのだ。














授業終了のチャイムと同時に机の上の教科書を片付けていると、横から声を掛けられた。


休み時間に声を掛けられることなんて滅多にない。
名前を呼ばれる事だって。


思わず声がひっくり返ってしまいそうになるのを堪えるのに必死で「なに?」と返事するのがやっとだ。



「何度もすまんな、肘。うざいじゃろ」



仁王くんは人と会話をするとき、じっと相手の目を見つめる。
愛想笑いなんて絶対にしない人だ。


今も、彼の眼には不自然な笑みを浮かべた私の顔が映っているだけで、
そこに在る感情なんて私に読み取れるはずがない。



「別に、そんなの気にしてないよ」
「けど、授業中気が散るじゃろう。そこで、俺から一つ提案があるんじゃけど」
「提案?」



彼のその「提案」と言う言葉の響きになんだか私と彼だけが共有している時間を感じて
私はドキドキしながら次の言葉を待った。



「俺との席、交換せんか?」
「え?」



彼の言葉の真意を図りかねて、首を傾げてしまう。



「俺が左で、が右の席。そうすれば、肘がぶつからんですむじゃろ」



淡々と説明する彼の言葉に成程と理解すると同時に、落胆せずにいられなかった。


仁王くんの言葉には私が期待したような甘い意味合いも、
心躍るようなニュアンスも何も含まれていなくて。

あるのはただ合理的な理由のみだ。


それに席が替わってしまっては、もう私と彼の腕が触れ合うこともなくなってしまう。


たった一瞬の小さな出来事だけれど
今の私にとっては学校に来る喜びの大半を占めるような、貴重な瞬間だったのに。


そう思うと少しの絶望と動揺が私を襲ったけれど、
彼のその提案を拒絶する正当な理由が私にあるはずもない。



「そうだね!うん。そうしよっか」



出来るだけ普通になるように。
そう思うと、余計に要らない力が入ってしまう。
不自然な力の篭った私の返事を聞くと、仁王くんは口の両端を持ち上げて綺麗に笑った。


その眼には、さっきからずっと私が映ったままだ。



「お互いの肘が邪魔せんかったら、もっとに身体、近づけられるじゃろ」




















061123