朝からの淀んだ天気は予報通り、下校時刻には空はざあざあと泣き出していた。


卸したてのピンク色の傘を手に下駄箱で靴を履き替えていると、昇降口で空を見上げる人物が目に入った。


……仁王くん……。








a rainy day








「傘ないの?」


クラスメイトを無視して通り過ぎるのも気が引けるので、後ろから軽く声を掛けた。
その声に仁王くんはゆっくりと振り返り、私の顔を見るとそっと微笑んだ。


「なんじゃか。参ったのう」
「降水確率90パーセントって言ってたよ。天気予報見なかったの?」


そう言うと仁王くんが「今日は寝坊してしまったんじゃ」ってバツが悪そうに笑ったので
私もつられて笑ってしまった。


仁王くんとは同じクラスだけれど、あまり話したことはなかった。


彼は「王者」と呼ばれるうちの学校のテニス部のレギュラーで、
学校の外でも「詐欺師・仁王雅治」と言えばちょっとした有名人。


当然女の子からもモテるし、大人っぽくて何を考えているのか分からない彼はどこか近寄り難い。
別にとっつき難いと言うわけではないし、むしろ人当たりはいい方かもしれないけれど。


逆にそれが誰に対しても興味がないように思えて、どこか冷たい印象を持ってしまう。


けれど、彼のことが分からなければ分からない程
もっと彼を知りたい、近づきたい、と言う思いが芽生えてしまう。

勇気のない私には、ただ彼を黙って見つめていることしか出来ないのだけれど。


「(こうして話していると、他の男の子と変わらないんだけれどな)」


彼と話しながらそんな風に思っていると、仁王くんがふと私の持つ傘に目を留めた。


「随分と可愛い傘じゃな」
「あ、これ?この前買ったばっかりなんだ。今日が初仕事だよ」


そう言いながら自分の持つ傘を見て、子供っぽすぎたかなって。
お気に入りだったはずなのにちょっと後悔してきちゃった。

仁王くんが笑って「によく似合ってるな」なんて言うから余計に気まずくて、俯いてしまった。


「あ……良かったら、駅まで入って行く……?」


誤魔化すために言った言葉が余計に私の恥ずかしさを増していたことに気付いたときには、
もう遅かった。


「はは、サンキュー。実はが言ってくれるのを待っとったんじゃ」


そう言うと仁王くんは私の握る傘を奪い取って、傘を広げて外に出てしまった。


「ほら早く来んしゃい。置いていくよ」
「あ、待ってよ!私の傘なのに」


仕方なく、私は彼の元へ走り寄った。








仁王くんがさす傘の下に入り、二人で並んで歩いた。


仁王くんはあまり喋らない人だと思っていたけれど、気を使ってくれているのか色んな話をしてくれた。
それは私の知らない面白い話ばかりで、私は笑ったりびっくりしてばかりいた。


けれどそんな風にしていても、私の心臓はなかなか静かになってくれない。


「(初めてまともに喋ったと思ったら、今度は相合傘だなんて……)」


仁王くんの持つピンク色の傘はあまりにも彼と不釣合いで。

他の人から見たら私と仁王くんもそんな感じなのかなって考えてしまって、ちょっと複雑な気持ちだ。


「どうしたんじゃ?」


そんな私の様子に気がついたのか、仁王くんが私の顔を覗き込んで来た。
「ううん」と笑いながら首を振ると、仁王くんはまた綺麗に顔を綻ばせた。


そう言えば、仁王くんの笑った顔なんて教室じゃあんまり見たことなかったかも。
そう気づくと私の心臓はさらに煩く鳴り始めてしまった。


仁王くんの心地いい独特の訛りの声も聞こえなくなって、
ボーっとしながら歩いていると、突然彼の手が私の手に触れた。


「もっとこっち寄りんしゃい。風邪引くよ」


驚いて仁王くんの方を見る間もなく、彼は私を自分の方へ引き寄せると
そのまま私の手を握ったまま歩き続けてしまった。


「あ、あの」


私は繋がったままの手と仁王くんの顔とを見比べながら、顔を紅くして戸惑いの声を上げた。


仁王くんはそんな私を見てもさっきと変わらない笑顔を浮かべているだけで
私は大人しく彼に引っ張られるようにして歩いていた。


ただ、私の鼓動が手から彼に伝わってしまわないかなんて、そんな心配ばかりしていた。


そうして繋がれた手にばかり気を取られていると、駅へ向かう道から逸れていることに気がついた。


「あれ?ねえ、こっちじゃあ駅から離れちゃうよ?」


不思議に思って彼に聞くけど、彼は振り返って「まあまあ」なんて笑うだけだ。

私の傘は彼が持っているし、手を握られて引っ張られていては私は彼の後をついて行くしかなかった。








連れて来られたのは、ちょっとした高台にある公園だった。


いつもは見晴らしのいいこの場所も、こんな天気では私たちの他に人が居るはずもなかった。

けれど眼下に広がる町並みは雨に霞んでいて
まるで海の上に浮かんでいるような、なんだか幻想的な感じにさせられる。


仁王くんは屋根のある休憩所まで来るとやっと私の手を離してくれて、黙ってこちらを振り返った。


「どうしたの?こんなところで」


彼の行動の意図が読めずに問いただすと、仁王くんは徐に肩から提げていた鞄を漁り始めた。
そうして取り出したのは、ブルーの折り畳み傘。


「え……傘持ってたの……?」
「いくら天気予報見なかったからって、こんな天気じゃ傘くらい普通持って来るじゃろ」


呆気にとられている私の顔を見ながら、仁王くんは「俺は傘持っとらんなんて、一言も言ってないしな」
て付け加えた。


そうしてにやりと笑った仁王くんの顔は、さっきまでの優しい笑い方とは全くの別物で。


その顔を見て、私は自分がからかわれた、馬鹿にされたことにやっと気づいた。
さっきとは別の意味で、一気に顔が紅くなっていく。


「そう。じゃあもういいね」


私は仁王くんの持っていた自分の傘を引っ手繰ると背を向けて出て行こうとした。


けど、その手を仁王くんに掴まれて引き寄せられたかと思うと、後ろから抱き竦められてしまった。


「あ、あの」
「今日、何の日か知っとるか?」
「え……今日……?」


背中から伝わる彼の体温に、耳元で直接響く彼の声に、私の身体はどんどん強張っていく。


「今日、俺の誕生日なんじゃ」
「え、そ、そうなの?」


彼の言葉に驚いて返事をすると仁王くんは私の肩を掴んでくるりと振り返させて、
自分に向き合わせるようにした。


肩を掴んだまま少し背を屈めて私を見つめる彼は、呆れたようにため息を吐いた。


「はあ……やっぱり知らんかったんか。普通好きな奴の誕生日くらい、チェックしておくものじゃろう」
「え、好きな奴って……誰が、誰を?」


きょとんとしている私に、仁王くんはまたさっきのように、にやっと笑った。


「いつも俺に熱い視線を送っているのは、誰じゃったかな?」
「え、わ、私!?」
「誤魔化しても無駄じゃよ。気づかんフリするのだって、結構大変なんじゃからな」
「やだ、違うよ!あれは、その、仁王くんって、不思議な人だなって……興味があったっていうか……
だから、違うもん!」


汗をかきながら、真っ赤になりながら、力一杯否定しても仁王くんの余裕の笑みは消えてくれない。


「興味があるっていうのは、好きってことじゃないんか?好きな奴だから、目が行ってしまうんじゃなか?俺は、好きな奴とじゃなきゃ、誕生日一緒に過ごしたいなんて思わんよ」


仁王くんの言葉に、私の思考は追いついていかない。
私が仁王くんを好き……
じゃあ、仁王くんの言う「好きな奴」って……?


「ま、分からないんなら、これからゆっくり教えてやるよ」


そう言うと、仁王くんは今度は正面から、そっと私を抱きしめてくれた。










061204 HAPPY BIRTHDAY Masaharu!!