「跡部様お誕生日おめでとう!」
「跡部様、これ受け取ってください!」

「ああ、ありがとうよ」

「今年も相変わらずやんなぁ」



ああ、イライラする。









a nervous day









「朝から休み時間の度に、この有様よ」



私は教室のちょうど真ん中あたりに位置する自分の席に突っ伏して、
窓際の席に群がる集団を横目で見て息を吐いた。
住人が留守にしている私の前の席には
何故か2つ隣のクラスのはずの忍足が腰掛けていてこちらを振り返っている。


「て言うかなんであんたがここにいるのよ」

「そりゃ、今日は一大イベントやんか。見物しに来んでどうするんや」


そう言った忍足は、問題の集団ではなく私の顔を見つめながら、
興味深そうに厭らしい笑みを浮かべている。
私はまたひとつ、息を吐いた。
今日、10月4日は我が氷帝学園中等部に在籍する者、特に女子にとっては一大イベントだ。


なんて言ったって、「氷帝学園の王様」跡部景吾の誕生日だから。


彼女たちは跡部に祝福の言葉とそれぞれの想いが詰まったプレゼントを奉げようと、
彼の周りに集まってきているのだ。


「なんや、えらい機嫌悪いなあ」

「そんなことありません」

「そうか?そうは見えんけどなぁ。そう言えば、自分は跡部にプレゼントやらんのか?」


全部分かっているくせに、白々しく聞いてくる忍足は、
ただでさえイライラしている私の神経をさらに逆撫でする。
なにが「そう言えば」だよ。
答えなんて全部知っているくせに。


「そんなもの用意していません」

「そうなんか?やらんでもええのか?」

「なんで私がプレゼントなんてあげなきゃいけないのよ。
私がわざわざあげなくても、他の子達にいっぱいもらってるでしょ」


しまった。
今の発言で完全に墓穴を掘った。
けれど、そんなことは忍足には最初からバレていることだ。
忍足は相変わらずにやにやしながら「ふーん」なんて言っていたので
私は無視して次の授業の用意を始めた。


「お、跡部」


突然忍足が上げた声に、私の肩は微かに揺れる。
顔は正面を向けたままで僅かに視線を左に向けると、跡部がこちらに近づいて来たのが見えた。


「忍足こんな所でなにやってるんだよ」

「ちょっとな。しかし跡部、また仰山プレゼントやらなんやら貰ってるな」

「ふっ。羨ましいだろう」

「はいはい」


そんな二人のやりとりを聞いている私は、気が気でない。
顔は相変わらず正面を向けたままだけれど、全神経は身体の左半分に集中していた。


「おい・・・・・・」


跡部が視線をこちらに落としたのを感じて
跡部が声を掛けて来たと同時に、私はがたっと音を立てて立ち上がった。


「トイレ行ってくる」


それだけ言うと、足早に教室を後にした。
ああ、もう最悪だ。


さっき忍足にも言ったとおり、今日は常に跡部の周りに女の子がいる。
従って私は今日一日、跡部とはほとんど口を利いていない。
と言っても同じクラスとはいえ、元からそんなに頻繁に話す仲でもないのだけれど。
跡部と同じテニス部の忍足とどういうわけか仲のいい私は
彼を通して跡部とも少し話すようになった。ただそれだけの間柄だ。
けれどただそれだけと言っても、平凡で何の取り得もない一学生である私が
まさか「学園の王様」跡部景吾と、多少ながらも日常会話を交わすような関係になるなんて
夢にも思わなかった。
これまでの私が跡部に抱いていた印象と言えば、「俺様」「ナルシスト」「唯我独尊」などなど。
とてもお近づきになりたいと思うようなものではなかった。
けれど実際に跡部と話すようになって、それらの印象も強ち間違いではない・・・。
にしても、彼にはそれに相応する魅力が多々ある、ということに気付かされた。
跡部の俺様的な発言の裏には、
それが結果的に他人やチームの為に働くようになる意図が隠されていたことを知った。
テニスにおいても自分のプレー一番のように振舞いながらも、
実はチームのことを最優先にし、自身のプレーにおいても並々ならぬ努力をしていることを知った。
忍足もなんだかんだ言いつつ跡部のことは大いに信頼しているみたいだし。


そんな跡部のことを見ていて、他ならぬ感情を抱いてしまうのは自然なことだった。


しかし、相手はあの「跡部様」なわけで。
私だけが彼の魅力に気がついたなんてことが、あるはずがないのだ。
特に今日のように、大勢の女の子に囲まれている跡部の姿を見せられては、
とてもあの中に入って参戦する気にはなれない・・・と思い知らされてしまうのだ。


そういう訳で、私は好きな人に「誕生日おめでとう」の一言も言うことの出来ない
自分の意気地の無さを棚に上げて、
同級生に対して「様」なんて敬称を付けて呼ぶ彼女達の軽薄さや
それに対して満更でもなさそうに対応する跡部に対してどうしようもない怒りを感じ、
挙句忍足に八つ当たりをかましていたのだった。
(いや、でもあれは忍足が悪い)


結局あれ以降私は跡部と接触することなく、下校時刻を迎えてしまった。








時刻は23時を回ったところ。
私はパジャマとも部屋着ともつかない格好でベッドの上に寝転んで
パラパラと雑誌をめくっていると、私の携帯電話が着信を知らせる音を上げた。
雑誌から目を離し携帯を手に取ると、ディスプレイには「跡部景吾」の文字。


私は思わず飛び起きた。


だって、跡部とはメールで何度かやりとりしたことはあっても、
(それも次の日の時間割の内容だとか、大したことのないものばかり)
電話が掛かってくるなんて初めてだったから。
しばらく携帯を握ったまま光り続けるディスプレイを見つめた後、
恐る恐る通話ボタンを押した。


「もしも・・・・・・」

「遅ぇよ」


言い終わらないうちに跡部の声が飛び込んできた。


いつも教室で話すときよりも幾分か低い電話越しの声に。
そしてその不機嫌そうな声のトーンに。
二つの意味で、どきどきしてしまう。


「ご、ごめん。何?どうしたの・・・・・・?」

「今すぐ出て来い」

「えっ!?今すぐ?て言うか来いってどこに・・・・・・?」

「ごちゃごちゃうるせぇよ。とにかくすぐに来い」


それだけ言われると、一方的に電話を切られた。


「なんなの・・・・・・・」


私の心臓は未だにばくばくしていた。
しかし、「今すぐ来い」とは一体どういうことなのだろうか。


電話越しの跡部の声がいつにも増して低く静かだったのは、慣れない電話の所為だけではないだろう。
後で何を言われるか分からないので、とにかくすぐに出て行くことにした。
しかし流石に今の格好のままでは気が引けるので上着だけ着替え、
鏡をちらっと見て髪を数回梳かして行った。


玄関を出ると、すぐ横の植え込みに腰をかけている跡部の姿を認めて私は目を丸くした。


「こんな所で何してるの?」

「すぐに来いって言っただろうが」


私の質問は無視して、開口一番不満をぶつけられた。
跡部の眉間に深い皺が刻まれていて、
電話越しに感じた跡部の機嫌の悪さが気のせいではなかったことを確認した。


「女の子に急にそんなこと言うほうが無理だよ」

「そんなこと知るか。それよりも」


跡部が私をじっと見つめてきた。
この男は、いつもその碧い瞳で相手を見抜くように、決して目をそらさない。
私はそんな強い視線にいつも戸惑うばかりなんだ。


「お前、俺に何か言うことがあるだろうが」

「へ?」


投げつけられた言葉に、戸惑いはさらに増。
言うこと・・・・・・?
特に跡部と何か約束をしたり、謝罪や感謝するようなことはなにもないはずだけれど。


そんなことを考えながらも、私の頭に一番に思い浮かんだのは、
今日の朝からずっと考えていた、あの言葉。
けれど、それが跡部の求めている言葉なんだろうか?
跡部がそんなことをわざわざ催促するだろうか?
そんな風に思い巡らせながらぱちぱちと跡部を見つめていると、
跡部の眉間の皺がどんどん深くなっていくのが見えた。
これは危険だ。
とにかく何か言った方がいい。


「えーと。お誕生日、おめでとう・・・・・・?」

「おめでとう?じゃねえよ」


首をかしげながら疑問系で言うと、跡部の不機嫌な口調とは裏腹に、
眉間の皺は薄れ目は微かに細くなった。
跡部は複雑そうな人間に見えて、実は感情表現がとても単純だというのも、
彼と話すようになって知ったこと。
どうやら、これで正解だったらしい。


「あ、うん。お誕生日おめでとう、跡部」


今度ははっきりと声を出すと、跡部は満足そうな顔を浮かべた。


「もしかして、そんなことのために来たの・・・・・・?」

「俺様の誕生日がそんなことだって言うのかよ」

「あっ違う。そういうことじゃなくって」


そんなやりとりをしていると、跡部が右手を差し出してきた。
なに、この手は。


「誕生日プレゼントは」


私はまた目を丸くしてしまった。
この男は、こんな夜中にプレゼントの催促の為にわざわざやって来たのだろうか。


「そんなのないよ」

「あ?お前今日が俺様の誕生日だって知っていただろうが。なんで用意してないんだよ」



なんでって・・・・・・それは、私に勇気が無かったからです。
なんて、言えるわけもないし。
それにしても、跡部ってプレゼントひとつでこんなにせこい人間だったんだ・・・・・・。
これは知らなかったな。


「別にいいでしょう。もういっぱい貰ったんだから」


あの光景を思い出すと、またイライラが募ってくる。


これって嫉妬・・・・・だよね・・・・・・・私ってこんなに嫉妬深い人間なんだ。
これも知らなかったな、なんて考えてると、ちょっと落ち込んだ来た。
なんとなく跡部の顔が見れなくなって来て、自分のつま先を見つめていた。


「そんなもん、貰いたい奴から貰えなかったら意味ねえんだよ」


ふと耳に入った言葉。


一瞬聞き流しちゃったけれど。
その言葉の意味を図りかねてばっと顔を上げると、
跡部の整った顔が「しまった」とでも言うかのように、僅かに歪んで顔を背けた。


「なにそれ、どういう・・・・・・」


跡部の顔を覗き込んで問いかけようとしたら、急に腕を掴まれてそのまま引き寄せられてしまった。
そのまま跡部は私の腰に腕を回してきて
ちょうど私の胸の辺りに跡部の頭がある、という状態。
つまり私は跡部に抱きしめられているわけで。
突然の出来事に、当然私の頭の中は真っ白。


「えっ!な、なんなの!?なに!?」

「うるせーよ」


跡部はそれだけ言うとそのまま微動だにせず、一言も発しなくなった。
混乱してあたふたしていた私の頭の中も、しばらくして大分落ち着いてきたけれど。
やはり今の状況は理解できなくて、心臓の動きは早まるばかりだ。


こんなに密着しているのに、跡部にこの音が聞こえてしまわないだろうか・・・・・・?


この状態から逃れることも、跡部を引き剥がすことも出来なくて、私の腕は行き場を失って彷徨う。
恐る恐る跡部の柔らかい髪に触れてみると、跡部の体がびくっと反応した。


「あっ。ご、ごめん」

「・・・・・・別に嫌じゃねーよ」


跡部の反応に慌てて腕を引っ込めると、跡部が体勢を変えないまま声を出した。
私の下でくぐもった音を出すその声は、不機嫌と言うよりも、まるで・・・・・・。
その声に、私は思い切って跡部の頭を抱え込むように、腕を回してみた。
そうすると、私の体を抱く跡部の腕が、ぎゅっと強くなった気がした。私はもう顔から体まで、真っ赤で熱くて煙が出そうだったけど。
そのままお互い何も言葉を発せず、二人して石像のように固まっていた。
この時間が、ほんの数秒のようにも、果てしなく長い時間のようにも感じていた。


「今年は・・・・・・」
「え?」

突然跡部のくぐもった声がしたので、思わず聞き返してしまった。


「今年は、これで勘弁してやる」
「う、うん?」
「来年は、ちゃんと用意しておけよ」
「うん・・・・・・」


そしてまた、沈黙。
けれど、私にはまだ言うべき言葉が残っている。
もう一度、ちゃんと、伝えたいから。


「跡部・・・・・・」
「あ?」
「お誕生日、おめでとう」
「ああ。ありがとうよ」


この時、跡部の顔も私と同じように耳まで真っ赤だったなんて。
彼の後頭部しか見えなかった私には分からなかった。










061004 HAPPY BIRTHDAY Keigo!!